第一章 熱帯の陽に灼かれた肌を撫でる午後の微風が心地よかった。 「僕はそもそも運命なんてものがあることを信じてないんですよ」 コーヒーカップのソーサーの端を歩き回っていた小さなアリを指に乗せ、じっと見つめながら彼がこんなことを言った。 「どうして?」 「だって運命って、暗黙のうちに何者かによって人生に敷かれた、目に見えないレールみたいなものでしょ。もしもそんなものが本当にあって、僕たちはそんなものの上を歩かされてるんだとしたら、それはサイコロも振らないで、すでに決められたゴールに向かって、ただ人生ゲームのコマを進めてるようなものじゃないですか?」 僕は素直にうなずいた。 「だって生きてると、ふいに道を外れてしまうことだってある。そして道を外れてしまったことによって、きっとその先に思いも寄らない出会いなんかが待ち受けてて、その出会いによって人生が大きく好転することだってあるのかもしれない。そもそも旅ってそういうものでしょ?」 確かに僕は彼の言う通りだと思った。旅は裏切りの連続だ。そしてその旅の裏切りは、今まで頭の中でクルクルと回っていた地球儀をいとも簡単に塗り替えてしまう。塗り替えられるたびに頭の中の地球儀はほんの少し大きくなり、新たに書き込まれた道はやがて思わぬ方角へと走り出し、旅は無限の可能性を秘めてどこまでもはてしなく広がっていくんだ。 「でもそれは運命なんかじゃない。それはただサイコロを振り間違えただけなんだ。だって僕たちがこの街にやってきたことだって、何もかもがただレールの上を歩かされてたんだとしたら、旅をする意味なんてないじゃないですか?」 僕は彼の話に適当に相槌をうちながら、彼の手の上を小さな足を忙しなく動かしながら歩き回っているアリの行方に目が離せなかった。 「それに第一、僕たちがどんなに苦労して、どんなに努力したって、運命は僕たちの力じゃあ変えられないんだから。そんなバカなことってないでしょ?」 とうとうアリは彼の薬指から中指の先に達したところで、突然、指先からポトンとテーブルの上に落ちた。 「ゴメン。何だっけ……?」 * ホテルの名前はリヴァーイン。メコンの川岸に建つ。 ホテルの薄暗いロビーの奥、カウンターの脇を抜けると、そこに小さなダイニングがある。質素な格子柄の煤けたクロスが掛かったテーブルを白いプラスチックの椅子が取り囲み、低い漆喰の天...